そのルールは、いつ作られたものですか
ある会社で、ヒアリングをしていたときのことです。
担当の方が、いつものように、書類を整えてくださっていました。
A4の紙が、三枚。
それぞれに、印鑑を押す欄が、いくつもあります。
私はそれを見ながら、ふと、お聞きしました。
「この書類は、どんな場面で使われるものなんですか」
担当の方は、少し考えてから、答えてくださいました。
「これは、申請があったときに、上長と、部長と、本部長に、確認をいただく書類でして」
「なるほど。何を確認するための書類なんですか」
少しの沈黙のあと、その方は、こう続けられました。
「すみません、ちょっとそこは、はっきりとは……。前任から引き継いだ書類なので」
責めるつもりはありませんでした。
その方が悪いのではないということも、よく分かりました。
ただ、その「前任から引き継いだ」の中に、たぶん、いろんなことが詰まっているように感じました。
組織には、たくさんのルールがあります。
申請の手続き。
会議の進め方。
報告の流れ。
書類のフォーマット。
誰に、何を、いつまでに、どう伝えるか。
そのひとつひとつには、たぶん、最初は理由があったはずです。
過去のどこかで、誰かが困った。
だから、こういう仕組みを作った。
そのときは、確かに、必要だった。
けれども、時間が経つうちに、状況は変わっていきます。
仕事の中身が変わる。
人が入れ替わる。
当時の課題が、もう、課題ではなくなる。
それでも、ルールだけは、静かに残ります。
そして、それを引き継いだ人たちは、ルールがそこにあることを「前提」として、仕事をするようになります。
「なぜ、こうなっているのか」
その問いは、いつのまにか、誰の口からも出なくなります。
問うことが、なんとなく失礼な感じがする。
聞くと、「そんなことも知らないのか」と思われそうな気がする。
忙しさの中で、立ち止まって考える時間もない。
だから、みんなで、続けます。
意味の分からないまま。
誰も理由を覚えていないまま。
それが、組織の中で、少しずつ、無駄を生んでいきます。
書類を一枚、用意するのに、十五分。
印鑑をもらうために、三人の予定を調整するのに、三十分。
形式を整えるために、もう一時間。
そのひとつひとつは、小さなことです。
ただ、組織全体で見ると、一日のうちのかなりの時間が、「もう意味のないルール」のために使われていることがあります。
そして、無駄の本当の重さは、時間だけではないように思います。
人が、「なぜ?」と問わなくなる。
「決まっているから」「前からそうだから」が、理由として通用するようになる。
新しく入ってきた人が、最初は感じていた違和感を、半年もすれば、忘れていく。
考える力が、少しずつ、休眠していきます。
ルールを引き継ぐということは、たぶん、形だけを引き継ぐことではありません。
そのルールが作られた理由を、引き継ぐことです。
理由を一緒に渡されたルールは、状況が変わったときに、見直すことができます。
「あのときは、こういう理由で作ったけれど、もう、その状況ではないから、形を変えよう」
そう判断できます。
けれども、理由が抜け落ちたまま、形だけが引き継がれていったルールは、誰にも見直せません。
「いや、これは、昔からこうなっていますので」
そのひと言で、すべてが守られます。
そして、何も変わらなくなります。
こうした「理由の抜け落ちたルール」が、組織の中に少しずつ積み重なっていくと、組織の動きは、だんだん、重くなっていきます。
判断が遅くなる。
新しいことに挑むのが、難しくなる。
若い人たちの提案が、「前例がない」で止まるようになる。
それは、誰かが意地悪をしているわけではありません。
誰かが間違っているわけでもありません。
ただ、見直されないまま積もったルールが、組織の関節を、少しずつ、固くしていくのだと思います。
「このルールは、いま、本当に必要だろうか」
その問いを、静かに、しかし丁寧に、置ける場所が、組織の中にあるかどうか。
それだけで、組織の動きは、ずいぶん変わるように思います。
ルールを増やすことは、簡単です。
ルールを守らせることも、できます。
けれども、いちばん難しいのは、「もう要らないかもしれない」と気づき、それを口にし、見直していくこと、なのではないでしょうか。
新しいルールを作るより、古いルールを手放すほうが、たぶん、組織にとっては、ずっと難しい仕事です。
そして、その難しい仕事を、静かに、誰かが担っているかどうかで、組織の体温は、変わっていくように思います。
誰も理由を覚えていないルールが、組織の中に、どれくらい眠っているでしょうか。
そのひとつひとつに、「なぜ?」と問い直せる余裕を、私たちは持てているでしょうか。