「ずれている」のではなく、 立つ場所がなかった。
私は、ファシリテーターとして、いろんな会議に入ります。
入る会議によって、空気はずいぶん違います。
発言の数。
笑いの起き方。
沈黙の長さ。
でも、不思議なのは、同じメンバーであっても、会議の組み立て方を少し変えるだけで、その空気が大きく変わることです。
特に、変わるのは、人です。
ずっと黙っていた方が、突然、はっきり話し始める。
少しずれた発言ばかりに見えていた方が、芯のある観点を出してくる。
そういう場面に、何度も立ち会ってきました。
きっかけは、いつも同じです。
その方に、役割をひとつ、お渡しすることです。
「現場の動きを拾ってください」
「お客様の視点で、気になることを教えてください」
「数字や進捗の抜けを、見ていてください」
会議が始まる前の、ほんの少しの確認です。
それだけで、その方の話し方が変わります。
表情も変わります。
場との関わり方が変わります。
何度それを見ても、私はまだ不思議に思います。
人は、こんなにも、立ち位置に支えられているのか、と。
逆に言うと、立ち位置が見えないままの人は、こんなにも話しづらかったのか、ということでもあります。
立場や肩書きは、もちろんあります。
役職もあります。
担当もあります。
でも、今日この会議の中で、自分は何を見る人なのか。
何を持ち帰る人なのか。
それを誰も言わないまま、ただ「参加してください」と席が用意されていることが、本当はとても多いように思います。
そのとき、人は、自分なりに、何かを話そうとします。
けれども、自分の立ち位置が分からないので、発言は少し揺れます。
現場の話なのか、戦略の話なのか。
今の話なのか、将来の話なのか。
意見なのか、確認なのか。
その揺れが、周囲から見ると、「ずれている」と映ります。
そして、そういう発言が二度、三度と続くと、その方には、静かに評価がつき始めます。
「考えていない」
「主体性がない」
「言っていることが、よく分からない」
会議室の外で。
廊下で。
ランチの席で。
その評価は、少しずつ、固まっていきます。
本人は、たぶん、気づきません。
ただ、なんとなく、会議で発言しづらくなっていく自分を、感じているだけかもしれません。
私はこの構造を見るたびに、少しだけ、怖くなります。
その方の評価は、その方の中にあるものではなく、その方に渡されなかった「立ち位置」のかたちをしているのではないか、と思うからです。
そして、その評価は、たぶん、次の会議にもついていきます。
次の会議でも、誰もその方に、役割を渡しません。
すると、また、少し的の外れた発言が出ます。
評価は、また少し、強くなります。
何年か経つと、その方は「あまり期待されない人」として、組織の中で静かに扱われるようになります。
本当は、最初の会議で、たったひとつ、役割を渡されていたら、違っていたかもしれません。
ただそれだけのことが、人ひとりの数年を、ゆっくりと変えていきます。
役割を渡すという行為は、たぶん、仕事を割り振ることだけではありません。
「あなたは、ここから見てください」
「あなたの視点が、この場に必要です」
そう伝えることでもあります。
それを受け取った人は、見える景色が変わります。
景色が変わると、言葉が変わります。
言葉が変わると、周りの見え方も変わります。
そしてその変化は、その人の中の何かが新しく芽生えたというよりも、ずっとあったものが、ようやく出てこられる場所を得た、という感じに近いのです。
面白いことに、役割が渡されると、変わるのは、その方だけではありません。
会議室全体の空気が、少しずつ変わります。
それまで一人で話していた方が、少し聞く側に回ります。
うなずいているだけだった方々が、ノートを開きます。
場が、誰か一人のものではなく、みんなのものとして動き始めます。
会議は、誰かの能力で進むものではなく、
立ち位置の組み合わせで動くものなのかもしれません。
会議の場で、誰かを「ずれている」と感じたとき、私は最近、ひとつだけ、問いを置くようにしています。
その方には、見る場所が、ちゃんと渡されていたでしょうか。
立っていい場所が、その人を作るのだとしたら、たぶん、組織の中で本当に問われているのは、能力ではなく、「人を立たせる設計」のほうなのかもしれません。
そんなことを、会議室を後にしながら、よく思っています。