INSIGHT 07

「ずれている」のではなく、 立つ場所がなかった。

「ずれている」のではなく、
 立つ場所がなかった。

私は、ファシリテーターとして、いろんな会議に入ります。
入る会議によって、空気はずいぶん違います。

発言の数。
笑いの起き方。
沈黙の長さ。

でも、不思議なのは、同じメンバーであっても、会議の組み立て方を少し変えるだけで、その空気が大きく変わることです。

特に、変わるのは、人です。
ずっと黙っていた方が、突然、はっきり話し始める。

少しずれた発言ばかりに見えていた方が、芯のある観点を出してくる。
そういう場面に、何度も立ち会ってきました。

きっかけは、いつも同じです。

その方に、役割をひとつ、お渡しすることです。

「現場の動きを拾ってください」
「お客様の視点で、気になることを教えてください」
「数字や進捗の抜けを、見ていてください」

会議が始まる前の、ほんの少しの確認です。

それだけで、その方の話し方が変わります。
表情も変わります。
場との関わり方が変わります。

何度それを見ても、私はまだ不思議に思います。
人は、こんなにも、立ち位置に支えられているのか、と。
逆に言うと、立ち位置が見えないままの人は、こんなにも話しづらかったのか、ということでもあります。

立場や肩書きは、もちろんあります。
役職もあります。
担当もあります。

でも、今日この会議の中で、自分は何を見る人なのか。
何を持ち帰る人なのか。

それを誰も言わないまま、ただ「参加してください」と席が用意されていることが、本当はとても多いように思います。

そのとき、人は、自分なりに、何かを話そうとします。
けれども、自分の立ち位置が分からないので、発言は少し揺れます。

現場の話なのか、戦略の話なのか。
今の話なのか、将来の話なのか。
意見なのか、確認なのか。

その揺れが、周囲から見ると、「ずれている」と映ります。
そして、そういう発言が二度、三度と続くと、その方には、静かに評価がつき始めます。

「考えていない」
「主体性がない」
「言っていることが、よく分からない」

会議室の外で。
廊下で。
ランチの席で。

その評価は、少しずつ、固まっていきます。
本人は、たぶん、気づきません。
ただ、なんとなく、会議で発言しづらくなっていく自分を、感じているだけかもしれません。

私はこの構造を見るたびに、少しだけ、怖くなります。
その方の評価は、その方の中にあるものではなく、その方に渡されなかった「立ち位置」のかたちをしているのではないか、と思うからです。

そして、その評価は、たぶん、次の会議にもついていきます。

次の会議でも、誰もその方に、役割を渡しません。
すると、また、少し的の外れた発言が出ます。
評価は、また少し、強くなります。

何年か経つと、その方は「あまり期待されない人」として、組織の中で静かに扱われるようになります。

本当は、最初の会議で、たったひとつ、役割を渡されていたら、違っていたかもしれません。

ただそれだけのことが、人ひとりの数年を、ゆっくりと変えていきます。

役割を渡すという行為は、たぶん、仕事を割り振ることだけではありません。

「あなたは、ここから見てください」
「あなたの視点が、この場に必要です」

そう伝えることでもあります。
それを受け取った人は、見える景色が変わります。

景色が変わると、言葉が変わります。
言葉が変わると、周りの見え方も変わります。
そしてその変化は、その人の中の何かが新しく芽生えたというよりも、ずっとあったものが、ようやく出てこられる場所を得た、という感じに近いのです。

面白いことに、役割が渡されると、変わるのは、その方だけではありません。

会議室全体の空気が、少しずつ変わります。

それまで一人で話していた方が、少し聞く側に回ります。
うなずいているだけだった方々が、ノートを開きます。

場が、誰か一人のものではなく、みんなのものとして動き始めます。

会議は、誰かの能力で進むものではなく、
立ち位置の組み合わせで動くものなのかもしれません。

会議の場で、誰かを「ずれている」と感じたとき、私は最近、ひとつだけ、問いを置くようにしています。

その方には、見る場所が、ちゃんと渡されていたでしょうか。

立っていい場所が、その人を作るのだとしたら、たぶん、組織の中で本当に問われているのは、能力ではなく、「人を立たせる設計」のほうなのかもしれません。

そんなことを、会議室を後にしながら、よく思っています。

Written by 近藤和歌子

Wingood代表
組織の中にある、まだ言葉になっていない違和感に耳を澄ませる。
対話と関係性を起点に、人材開発・組織開発に携わる。
現場に流れる空気や、小さな変化を大切にしている。