補助輪の外し方
育成について、考えさせられる出来事がありました。
普段、重要なプレゼンは私が担当しています。今回は、育成中のメンバーにそれをお願いしました。一緒に準備をして、シミュレーションもしました。大丈夫だろう、という気持ちで当日を迎えました。
結果は、想像していたものとは違いました。
シミュレーションで確認したことが出てこない。言葉が詰まる。順番が前後する。ミスが続きました。
そのとき、私の中にいくつかの問いが浮かびました。今ここで指摘するのか。それとも、まず受け止めるのか。何が足りなかったのか。そして、それは本人の問題なのか、私の関わり方の問題なのか。
指摘するか、受け止めるか
あの瞬間、私の前には二つの道がありました。
一つは、ミスをその場で指摘すること。何がいけなかったかを丁寧に伝える。改善点を明確にする。一見、誠実な関わり方に見えます。でも、タイミングや伝え方によっては、相手を必要以上に落ち込ませてしまう。自信をなくした状態では、次への一歩が踏み出しにくくなります。
もう一つは、ミスには触れず、とにかく褒めること。本人の気持ちを守ることを優先する。でも、課題を曖昧にしたまま前に進むと、同じことが繰り返されます。褒めるだけでは、成長の機会を奪うことにもなりかねません。
どちらも、相手を思っての行動です。でも、その場でどちらを選んでも、何かが足りない。そう感じている自分がいました。
なぜなら、振り返ってみると、今回の根本はもっと手前にあったからです。準備不足でした。正確に言えば、熟練者と育成中の方が一緒に準備する時間と質が、十分ではありませんでした。指摘するか褒めるかは、その日の終わりの話にすぎません。本当の分かれ目は、もっと前にあったのです。
補助輪を外すとき
自転車の補助輪を外すとき、どうするでしょうか。
最初から手を離してしまえば、転びます。ずっと支えていれば、いつまでも自分でこげるようにはなりません。大切なのは、その中間にある「手の添え方の加減」です。
支えているようで、少しずつ力を抜いている。転びそうになったらすっと添える。その絶妙な匙加減が、育成にも求められるのだと思います。今回、私はその補助輪の外し方が、少し早かったのかもしれません。
もちろん、人によって違います。自信たっぷりで「自分でやります」という方もいます。そういう方には、最初から手を添えすぎることが、むしろ邪魔になることもあります。転んで痛い思いをしながら、自分の体で覚えていく。その経験が必要な人もいます。
一方で、丁寧に一緒に振り返りながら、課題を一つずつ整理していくことで伸びる方もいます。
どちらが正しいのではありません。相手を見て、その人に合った支え方を選んでいくこと。それがケースバイケースということの本質だと思います。
干渉と、放任のあいだ
この「手の添え方の加減」を、もう少し一般化して考えてみます。育成でよく陥るのは、二つの極端です。干渉しすぎること。または、放ったらかしにすること。
これは、先ほどの「その場で指摘するか、褒めるか」という瞬間の選択とは、層が違う話です。日々どれだけの距離で相手と関わるか、という、もっと持続的な構えのことです。干渉しすぎれば、自分で考える力が育ちません。放ったらかしにすれば、必要なタイミングでの支えがなく、孤独に転び続けることになります。どちらも、関わっているようで、相手の成長には結びついていない。
では、干渉でも放任でもない関わりとは、どういうものでしょうか。一つのヒントは、「観察」にあると思っています。
相手が今どこにいるかを見ること。自信があるのか、不安なのか。準備が整っているのか、まだ途上なのか。それを見極めずに同じ関わり方をしていると、タイミングがずれていきます。支えが必要なときに離れてしまう。もう離れてよいときに、まだ支えている。そのずれが積み重なると、育成はうまくいかなくなります。
そして、観察は、それだけでは成り立ちません。支えているのは、日頃からの対話です。業務の報告だけでなく、「今どんな感じ?」という一言が、相手の状態を知る手がかりになります。そのやりとりの積み重ねがあってはじめて、補助輪の外し方を調整できるのだと思います。
育成は、成果を出させることではないと、私は思っています。その人が、自分の力で立てたと感じられる瞬間をつくること。それが、関わる側の本当の仕事ではないでしょうか。
うまくいかなかったとき、真っ先に「本人の問題」を探したくなる気持ちは、よく分かります。でも、その前に一度、自分の関わり方を振り返れる育成者でありたい。今回の経験は、そのことを改めて気づかせてくれました。
補助輪を外すときの、あの手の添え方。
それができているかどうかを、育成に関わる人間として、常に問い続けていたいと思います。適切な支えがあってはじめて、人は自分の足で走り出せるのではないでしょうか。