INSIGHT 02

離職は止められるはず

離職は止められるはず

ある企業の幹部の方が、こんな言葉を漏らしました。

「若い子がすぐ辞めてしまって、困っているんです」

規模は中堅。業績は安定している。待遇も悪くない。
それでも、若手が去っていく。
その方は、採用に力を入れるべきか、研修を充実させるべきか、あれこれ思案されていました。

ところが、である。
その幹部の方の下にいる管理職の方と、別の機会に話をする場がありました。
そこで出てきた名前が、まさにその「辞めたいと言っている若手」でした。
幹部の方はご存知だったでしょうか。
現場で何が起きているかを。

情報は、上に届いていませんでした。
管理職の方から出てきた言葉は、一言でいえばこういうことでした。

「言ったことができないんです、あの子は」

できない、という評価。
それだけでした。
なぜできないのか、どういう状況で指示を出したのか、本人は何と言っているのか。
そういった話は、ほとんど出てきませんでした。

ただ、その管理職の方を責める気にはなれませんでした。
話を聞くうちに分かってきたのは、その方自身が、いくつもの業務を一人で抱え、現場を回すだけで精一杯だったということです。若手の様子に目を配る余白も、それを誰かに相談する場も、持っていませんでした。

気になって、少し掘り下げてみました。
指示は口頭だったか。
何をどのくらいの期限でやってほしいか、明確に伝えていたか。
本人が理解しているか確認したか。
答えを聞いていくうちに、見えてきたものがありました。

指示があいまいだった。
優先順位が示されていなかった。
「なんとなくやっておいて」という伝え方が多かった。
しかも、本人が困っているサインを出していたのに、忙しさを理由に声をかけられていませんでした。

けれどこれは、怠慢ではありません。
その管理職の方もまた、余裕を奪われたまま、たった一人で現場を支えていたのです。
「言ったことができない」ではなく、「動ける状態をつくってあげられなかった」。

そしてそれは、管理職一人の責任でもありませんでした。

幹部の方は、現場に入れていませんでした。
私がこの話で気になったのは、管理職の方の力量だけではありません。
そもそも、この状況が幹部の方に届いていなかったことです。

離職したいという若手がいる。
でも、なぜそうなっているかは、幹部の耳に入っていない。
現場から上がってきた情報は「できない子がいる」という評価だけ。

その若手が何を感じ、何につまずき、誰のどんな言葉に傷ついているのか——そこまでは、届いていませんでした。
そして同じように、その管理職の方が何に追われ、どれほど一人で抱えていたのかも、届いていませんでした。

これは、珍しいことではありません。
組織の中でよく起きることです。
幹部と現場の間に距離ができると、情報は要約されます。
要約されるうちに、文脈が落ちます。
文脈が落ちると、評価だけが残ります。
評価だけでは、何も解決しません。

「組織に入り込む」ということ。
幹部の方がもう少し現場に入っていたら、これは防げた話だと思いました。
「入る」というのは、視察や巡回のことではありません。
話を聞く、ということです。

管理職の言葉だけでなく、若手の言葉も。
雑談の中にある本音も。
会議では出てこない、廊下での一言も。

そういうものを拾いに行く姿勢が、組織の中の情報の流れを変えます。
幹部の方が現場の声を直接聞ける関係性があれば、管理職の方も「この状況を上に伝えなければ」と感じるようになります。

いえ、それ以前に、管理職の方自身が「一人で抱えなくていい」と思えるようになります。
何か起きたときに隠すよりも、早めに相談できる空気が生まれます。
それだけで、見えてくるものは変わります。

離職の理由は、たいていの場合、去り際に語られません。
「一身上の都合」という言葉の奥に、誰かに届かなかった言葉が積み重なっています。

幹部の方が嘆いていた「辞めてしまう」という現象は、多くの場合、ある日突然起きるわけではありません。
ゆっくりと、静かに、積み上がっていきます。

だからこそ、早い段階で気づける組織でありたい。

そのために必要なのは、制度でも予算でもなく、「組織の中に入り込んでいるかどうか」という、一つの問いかけではないでしょうか。

Written by 近藤和歌子

Wingood代表
組織の中にある、まだ言葉になっていない違和感に耳を澄ませる。
対話と関係性を起点に、人材開発・組織開発に携わる。
現場に流れる空気や、小さな変化を大切にしている。